禁断の、、

 

 

 

 

 

 

 

 

火遊び♪

 

 

🔥        🔥        🔥

 

 

今日の島は、一日中、雨。沖縄と言えど、3月初旬で雨降りの日だと、まだまだ寒い。南の島は冬でも暖かいと思っていた私は、暖房器具を持っておらず、今回も、どうせすぐに埼玉に戻るからと思い、準備しなかった。

 

 

しかし、今日は本当に寒くて、困ったなと思ったら、先日、ランドリールームで目の端に写った物を思い出した。

 

 

年季の入った七輪。部屋の隅に炭の入った段ボール箱も発見。その時点でにやけてしまう私。

 

 

早速、古新聞を使って炭に火をつける。しばらくして炭火が安定すると、あとはなるべく空気がまわるようにして炭をくべていく。その作業が楽しい。それになんて暖かいのだろう。やはり直火に勝る暖かさはない。

 

 

暖かいのはもちろんだけど、炎がゆらめく様子を見ていると時間を忘れる。何時間でも炎の前にいられる。火から目が離せない。これはもう、太古の昔からの記憶によるものかもしれない。

 

 

一昨年、ヨーロッパを旅したとき、南仏のベダイアックという場所にある巨大な洞窟を訪れた。古代人が残した、手のひらや動物たちの絵が残されている洞窟。

 

 

1時間近くのツアーに参加し、二人で一つの懐中電灯をともし、進んで行った洞窟内には、古代人の絵に加え、鍾乳石で作られた天然の噴水のようなものや、幼子を抱くマリア様のように見える岩や、不思議な造形物が浮かび上がり、神秘的な空間だった。

 

 

モンセギュールという城山を拠点にしていた、10世紀に発生したキリスト教の一派で、のちに異端とされ弾圧された(最後、城から出された聖職者たちは火刑に処された)、カタリ派の生き残りが、いくつもあるこのあたりの洞窟に馬で逃れたという伝説が残されている。この洞窟なら馬で入って来られるな、と脱出劇のシーンを思い浮かべた。

 

 

ガイドの指示で、すべての懐中電灯を消したとき、辺りに広がる漆黒の闇は、私にとって恐れる対象などではなかった。それどころか、不思議ととても懐かしい感じがした。優しく抱きしめられるような感じが。その安らぎの中心にあったのは、そのときその場にはありようがなかった炎だった。

 

 

毛皮をまとった姿で、狩から戻り、無事に獲物を持ち帰って仲間と安堵しながら見つめた焚なのか、命からがら城から早馬で逃げ、ようやく囲んだ炎なのか。同じ炎に焼かれた仲間たちを思いながら。

 

 

あのとき、洞窟内の一瞬の闇の中で、私の身体の細胞は、さまざまな記憶を思い出した。あの感覚は忘れられない。できるものなら、ずっと洞窟内にとどまりたかったくらいだ。

 

 

もしかしたら、洞窟の外に出てからも、炎を前にするたびに、私の身体には同じことが起きているのかもしれない。

 

 

あたたかな夜と眩しい朝を✨

 

 

Aloha💖

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。